PARENTS JOURNAL
ペアレンツバッグは、私なりの夫への愛情表現
4日前、私は第三子となる次男を出産した。
初めて挑戦した完全無痛分娩は、予定日に陣痛を起こして同時に麻酔をかけていくというもの。
2回の妊娠出産を経験している私は、そんな上手いこといかないでしょ、と半信半疑だったけれど。 陣痛から痛みもなく、お腹に「大丈夫だよ、ママと頑張ろうね」と声をかけ、 最後は赤ちゃんの頭が降りてくるのを感じながら、夫の目を見てフーッと息を吐き、息子の産声を聞く。
それは、とても穏やかで神秘的なお産となった。
夫が「頑張ったね、ありがとう」って言ってくれて
私も「かわいいね」と涙ぐみ、微笑み合う。
…と、この感動的なお産に至るまで、私たちの夫婦仲はとても険悪で映画・アウトレイジ並の死闘を繰り広げていた。
それは時を巻き戻すこと、臨月間近ーー
妊娠発覚から数えきれないほど不満は積もっていたけれど、決定的だった出来事は、そう臨月。
そろそろ入院準備をしなくちゃまずいと焦っていた私は、軽量かつ優しげなピンク色のマザーズバッグに入院セットを詰め込む。
そこへ、仕事から帰ってきた夫がサラッと「中国出張が決まった」と一言。
いつ生まれてもおかしくない臨月で、仕事や子どもたちのことで精一杯な中、海外出張に行くことを決めた報告に深く傷ついた。
だって、私には妊娠してから諦めた仕事や子育てがたくさんある。
妊娠は奇跡かつ不安定ということを知っているから、体調を第一優先に心がけて
やりたいことがあっても“今は違う”と心に蓋をしながら調整していたからだ。
何事にも気軽にYESと答えられない苦しさが妊娠期にはある。
それなのに夫は、大事な仕事、時には仕事が忙しいと判断したら、家族の用事に振り返ることなく仕事を選択できる。
妊娠をするたびに、あらゆる両立に苦労していた私の姿を知っていながら、
夫は3人目の子どもを迎える今も私と同じ視点にいないと思うと心から悲しかった。
結局、妊娠したら、母である自分がなんとかしなくちゃいけない。
入院も子育てもひっくるめて、誰にも振り分けられないタスクが増えて、責任も増える。
「…わかった。理解はできるけど、納得はできてないよ」
喚きたい気持ちをグッと飲み込んでそう答えたけれど、やるせなくて、その夜は誰にも気づかれないように、しくしく泣いた。
その数日後に、“ペアレンツバッグ”に関するコラム執筆依頼が私の元に届いた。
それまで“マザーズバッグ”の呼び名に疑問を抱いたことはなかったけれど、言われてみれば、母だけが使う前提のバッグってなんだろう。
夫も同じ目線で子育てをしているからこそ呼べる“ペアレンツバッグ”、とっても理想的な響き!
だけど……幼稚園の行事すら把握していない夫に任せられることなど何もないのだ。
夫が失敗して余計な仕事が増えるくらいなら、自分でやった方がマシ。
赤ちゃんを迎えてもその気持ちは変わらないし、そうなると、
やはりマザーズバッグの方が、世の母たちの気持ちはラクなのではないだろうか。
ペアレンツバッグという呼び名は理想論…?今の私には何が書けるのかな。
なんてことを思いながら、娘の幼稚園で行われる牧師先生の講演会に向かった。
講演会の内容は、愛について。その中で平和とはどうしたら生まれるのか、の項目があった。
ああ、今の私が知りたいと思いながら耳を澄ます。
「シンプルなことだけれど、いちばん難しい。それは、相手を信頼すること。
互いが信頼しあっていれば、実は争いなど起きないのです。」
ペアレンツバッグを見て、結局夫には任せられない、分かってもらえないと気持ちを飲み込んだ自分を思い出す。
マザーズバッグのほうが、全部自分の好きに出来て、把握できて気持ちはラク。
ペアレンツバッグに共感しきれていなかったのは、ひょっとしたら、私も夫を信頼して任せることを諦めていたからかもしれない。
牧師先生のお話を聞きながら、家庭内の争いは、私にも原因がある…
と信じたくないけど、そんな気持ちがよぎった。
私はその夜、夫に話を聞いてほしいと珍しく歩み寄った。
「3人目がきてくれたら嬉しいねってなったとき、今まで同じように夫婦で頑張れると思ったけれど、
妊娠したら、全然同じ目線に立てている気がしなくて、妊娠中とっても苦しかった。
子どもたち2人までは自分でできると思ったけれど、今は出産と仕事の調整と重なってやり切るキャパがない。」
涙をこぼしながら話すと、夫も3人目が欲しいと思っていた時と授かった後で
仕事の状況が変わってしまい、追い詰められていたことを打ち明けてくれた。
話をしているうちに、すっかり忘れていたけれど…
そうだった、この人は昔から口下手で、こちらから何を考えているか話しかけないとわからない人だった。
会話が進んでいくと同時に、雪が溶けるように、温かな雰囲気が部屋に広がる。
夫は相当大切だったであろう中国出張を延期することを決めてくれた。
「とりあえず、いっぱい稼いで、一緒に頑張りたいと思ってる。」
「それは、私も同じ気持ちでいる。」
お互いスマホを取り出して、スケジュールや子どもたちのタスクを振り分ける。
本音を言えば、あれもこれも私自身しっかり把握できてないとちょっと不安。
ものすごく勇気がいることだったのだけれど…
こどもたちの学校や習いごとのこと、産後センターの手配、入院当日の流れ、
すべて私の手から離し、夫に託した。知らぬが仏。
そして私は、入院セットをマザーズバッグからペアレンツバッグへと移す。
淡いピンクで優しげなマザーズバッグよりも、夫が持ってもサマになる黒のペアレンツバッグのほうが、夫婦二人でスタートラインに立てた気がして微笑ましかった。
そんな出来事を経て、私たちは、あの神秘的なお産を迎えられたのだった。
出産して4日経った今、私は葉山のサンセットを眺めながら、夫が手配してくれた産後センターでこの出来事を書いている。
夫が上の子どもたちとどのような生活を送っているかは知らないけれど、大丈夫。
失敗したとしても、私だって物忘れが激しいし、大したことじゃない。
それから、ちょうど昨日
子どもたちを連れて会いにきてくれた夫に、ペアレンツバッグを持ってもらった。
「これ、マザーズバッグじゃなくて
ペアレンツバッグって言って、
一緒に頑張るんだよって意味のバッグだから、今持った瞬間から、3人育児の重み背負ってるよ。」
「やばいね、それ」
走り回る子どもたちを見ながら、笑い合う。
結局のところ、私は産後の今、いちばん夫を信頼している。
ペアレンツバッグを持つことは、ひとりで頑張ることを手放して、夫を信頼できた証であり、
信頼することによって、また愛することもできるようになる。
私なりの夫への愛情表現にもなった。
高橋夏果
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