PARENTS JOURNAL

Ordinary is Extraordinary - Shiba and Koji -

山の遥か向こうに見える海の上から太陽が登り始める早朝、耳のもっと奥の方で

「おはよー、パパおはよー」

と息子の無邪気な声が聞こえる。 

 

と同時にまだ開けていないはずの目に、光が燦々と差し込んでくる。 

 

僕のまぶたを小さな指でこじ開け、覗き込む息子の顔が映る。

 

正直、「目覚ましが鳴るまで寝かせてよ!」とは思うのだが、笑。

 

次の瞬間には、「なんと可愛く笑うのだろう」と思ったりもする。

 

2度深呼吸をして、心を落ち着かせながらキッチンへ向かう。

 

ベッドには、何故かこの状況でもぐっすり夢から覚めない「もう一人のパパ」がいる。

 

息子はまるでアヒルの行進のようにべったりと追いかけてきては、昨日見た夢の話なのだろうか、まだ言葉にならない大きな声で嬉しそうに話し続ける。

「うんうん」「そうだねー」と二言返事する自分に気付き、さらに2度深呼吸。

 

濃縮した特製エナジードリンクを心に流し込むかのように、淹れたてのコーヒーを一気に流し込み、息子に微笑み、そして頬を撫でる。

 

僕の「今日」という1ページ目はこうして始まる。

 

 


僕は13年連れ添う男性のパートナーと、ようやく2歳半になる息子を育てているけれど、

 

子育てをしている、携わっている多くの人がきっと同じような「朝」を迎え、同じような「感情」を持っているのではないかと思っている。

 

それは、きっと何百年何千年も変わらない「普遍的な物語」のようにも感じる。

 

 

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僕たち二人は「パイロットになる」という共通の夢を通じ出会い、そしてたくさんの旅をした。

 

気がつけば40カ国以上を旅し、実際に自分たちの目を通じ様々な宗教や生き方、文化の違いを体感した。

 

何より二人で目に見えない「大切なもの」を感じてみたかったのだ。

 


先進国と呼ばれるような豊かな環境の中でも、苦しみの中でもがく人々もいた。

豊かさとは一体何なのか、真剣に考えるきっかけとなった。 

 

それとは正反対に人里離れた6000m級の山々という過酷な環境で、山羊とわずかな食料で生活する部族と出会い驚きを隠せなかった。

 

そこには生きる喜びに目を輝かせる子どもに親達、幸せを心と体で体現する人たちがいた。

 

 

また、僕たちは一度も二人の関係性を尋ねられたことはなかったが(聞いていたのかもしれないが、言葉が分からなかった笑)、すべての人に笑顔で迎えられそして送り出してくれた。

 

時にはまるで「家族」のように。

 

人や家族という単位が「言葉」を通じて理解できない環境では、誰かが誰かを大切に想う、そのことが信頼という共通言語を生み出しているのだと感じた。

 

国や言葉、そして時代が変われば、「家族」とは一体何を表すのだろう?

 

今も僕は子育てを通じその答えを探し続けている。

 

 

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「言葉が変われば何が変わるのか?」

 

僕は日本語の「曖昧さ」がとても好きだ。

 

例えば、主語が抜け落ちたような会話でもしっかりとコミュニケーションが取れるといったように。

 

見えない語り手を想像しつつ、一つの言葉に数種類もの解釈を含む言語は他に存在するのだろうか?

 

現代社会では効率性を欠くとも言えるのだろうが、日本語は受け手側だけでなく送り手にも「想像」という余白を与える。

 

この独特な曖昧さが広がりを見せる日本語の世界観が好きなのだ。

 

これはすなわち、感情や見えないものの関係性に意識を向けるという試みのように思える。

 

それでは「マザーバック」から「ペアレンツバック」へ 

この言葉の広がりは、周りの人にどんな変化をもたらすのか? 

 

いや、それ以上に自分自身の意識にどんな変化をもたらすのだろうか? 

 

MATO by MARLMARLが僕たちや社会に問いかけてくれていること、 それは、

 「未来を想像すること」だと僕は解釈する。

 

名前という外側のラベルがひとつ変わることで、物事の輪郭がひとつ曖昧になった時

僕たちを含め多くの人が「家族」とは何かを再び自分の中で想像するのではないか。



自分たちのアート活動では、「Ordinary is Extraordinary」という言葉を胸に日々の生活の中にある小さな喜びを見出し表現している。

 

この活動を通じて誰かに自分自身の輝ける未来を「想像」してもらえることができたのならば、こんな嬉しいことはないと思う。

 

未来を想像する力は、人をどこまでも豊かにし小さな一歩という跳躍力を生み、いつしかその先には「社会」の形をも変える程の大きな力を秘めていると信じているから。

 


僕は想像する。

 

パートナーと息子とのかけがえのない日々のその先に、誰もが互いに大切な人を想い合う。

そんな「家族」の風景を。

 

 

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とは言え、これからの僕たちがどんな子育てをしていくのかは想像もつかない。

息子は日々成長し、その成長に右往左往しながらもどうにか二人で1日を終える。

そんな毎日だ。

 

未来のことは分からない。

それどころか今日のことも分からない。

 

きっと子育てとはそういうものなのだろう。

 

大抵のことは念入りに調べ、準備し、意気揚々と挑むのだが、結果はほとんどの場合思い通りにはいかず。

 

その代わりに、子育てを通じ沢山の驚きと感謝、そして涙と笑顔に溢れたかけがえのない思い出が僕らの人生に静かに積もり重なっていく。

 

想像がつかないからこそ、人生は驚きに満ちていて忘れられない感動で満たされる。 

 

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なかなか寝ないではしゃいでいる息子に「もう、寝る時間だよ!」と追いかけまわすこと一時間。

 

ようやく睡魔に耐えれなくなったのかトコトコと近寄ってきて、今朝と同じく今日楽しかったこと、初めて見た虫の話、覚えた犬の鳴き声なんかを一生懸命話しながら静かに眠りに落ちる。

 

その姿に2人で「にんまり」とする。

ほっと一息付くことの出来る2人の時間は、今日も過ぎてゆく。

 

あっという間に過ぎていく時間の中で、今という時間とこの想いをこの先あとどれだけ心に刻めるのだろうか。

 

そんな話に耽りながら、静まり返った森の中でまた今日も眠りに付く。

 

明日の一ページが「想像」という優しさに包まれて幸せなものでありますように。





Shiba and Koji

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼「マザーズバッグからペアレンツバッグの時代へ」

 


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