MATO PARENTS JOURNAL
- KAWAII
- 41
- OMG
- 48
- YEAHHH
- 64
WHITE
44歳。14人に1人。体外受精で生まれること
kubotakazuko
そういえば、ルイヴィトンは、
そもそも、鞄を作るために生まれたブランドではないそうで。
財布や手帳などでポケットがパンパンになり、遠くへ行きづらそうな旅人を見て、
「多くの旅人の思い出を作りたい」
と願って鞄作りが始まったそうだ。
昨年の暮れ、「100年後も残したいと思う記念日」と題されたアンケートが、
小中高大学生を対象に実施されたそうだ。
誕生日、クリスマス 、お正月など、
錚々たるイベントを抑え、
なんと1位に輝いたのは、「母の日(父の日)」だったそうだ。
書き方としても、本当に「()かっこ」書きで、父の日か母の日を付け加えて書かれていたそうだ。
選んだ理由の欄には「母、父、どちらも1位にしたいから『()』という書き方にしました。」と、
なんとも抱きしめたくなる表現で書かれていたそうだ。
主催者側が想像もしていなかった、
子ども達を困らせる結果となったが、
父たちと母たちはすこぶる喜んだに違いない。
日本は今のところ、
祝日が増え続ける国だから、
いつか作られ加わる祝日に「両親の日」が来ることも視野に入れて欲しい。
そう、願ってしまった。
7年間の不妊治療を経て、
令和の時代で母親になった私が1番驚いたのは、
男性用トイレにオムツ交換台があることだった。
7年前には、その考えすらなかっただろうなって思うと、
この7年間は正真正銘、
私の身体を整えるだけでなく、
世の中全体で、
私をママにするための準備がされていた時間だったんだとも思えてしまう。
夫に溺愛される娘も1歳5ヶ月。
何度、そのオムツ交換台に乗ったことだろう。
赤ちゃんセットだけを入れるバッグ、
いわゆるマザーズバッグがあったことで、夫にバッグだけを渡すことができ、
産後、トイレの近かった私は、
どれだけ助けられたことだろう。
娘が生まれ、1ヶ月検診までの間、
私と夫と生まれたばかりの赤ちゃんは
3人で、夫の実家に里帰りをさせてもらった。
自動ミルク機や、バウンザー、
おしり拭き保温ボックス…
私たちが用意していた赤ちゃん便利グッズに、お義母さんはずっと、驚いてばっかりだった。
そんな毎日が数日続いたある日、
「マザーズバッグの中にオムツあるから取ってきて」と、
夫に頼んだ場面をお義母さんが見て、
「今は、こんなに便利でおしゃれなもんがあっていいねぇ。
子育ても楽しかろ♩」
そう、マザーズバッグを見て言ってくれた。
その言葉の裏側に、
あの時代の子育てで感じた不便さを感じた。
今よりももっと、
「ママ」が「ママという生き物」として「ママらしくあること」を求められていた時代だったんだと思う。
きっと、「マザーズバッグ」という名前を生み出してくれた人は、
いっぱいママでいないといけない時間を、少しでも楽しく
ママとしての時間を送れるようにと願って、
世の中に贈り出してくれたのではないだろうか。
平成に生まれたのがマザーズバッグだったのなら、
男性用トイレにオムツ交換台が作られ出した令和の時代に受け継がれるのは、
「ペアレンツバッグ」、という概念なのかもしれない。
パパでもママでも、だれでもが子どもと楽しい時間を送れるようにと、
MATO by MARLMARL は、
ペアレンツバッグを贈り出してくれた。
parent とは「親」を意味し、
parent の語源はラテン語の「parere =育てる」、
に、由来するのだそうだ。
子育て中に巡り合う、
試練のような使命のような、
喜怒哀楽で溢れまくった いろんな思い出を、
ペアレンツバッグ越しに、
「家族の思い出」という言葉の 代名詞の位置において、
我が子を育てていくのも、いいな、と思う。
そして、「親」という漢字の通り、
木の上に立って見守った後、
娘が乾杯できる歳になった時、
「パパとママは、このバッグにオムツとかミルクとか いっぱい入れて、
海にも行ったし、山にも登ったし、いちご狩りにも行った、
初めて新幹線にも乗ったんだよ」って。
ママとパパが忘れられない、
君が覚えていない 一緒に見てきた景色たちに、ひとつずつリボンをかけて。
そんな感じで、
バッグをつまみに、お酒を飲みながら、
思い出を語り合えたのなら、幸いである。
#子育てとは思い出づくりだと思うから。
kubotakazuko
********
▼ペアレンツバッグ CONTAINER TOTE BAG AIR