PARENTS JOURNAL

44歳。14人に1人。体外受精で生まれること

「44歳」、「14人に一人」。

この数字が何の数字か。
6秒以内に分かった人は、きっと、
のっぴきならない感情たちと、
向き合ってはぶつかって、
受け入れては立ち向かって来た人ではないだろうか。

この数字が何なのかというと、
世界で初めて、体外受精で生まれた人が、
2023年の今年、「44歳」を迎えるという。

そして、
2019年には、
日本で生まれた赤ちゃんのうち、
体外受精で生まれてきた赤ちゃんは6万598人だった。

これは、生まれてきた赤ちゃんの「14人に1人」が、
体外受精で誕生した計算になるらしい。

我が家の娘も8年間の不妊治療の末の、
体外受精での妊娠だった。

庭で遊ぶ我が子

だけど、この数字たちを知ったのは、
体外受精の手術や着床確認などなど、
さまざまな検査も終わって、
生まれてくる赤ちゃんのための保育園を探している頃、
たまたま、新聞の記事で読んだことがきっかけだった。

初めて誕生した人が、まだ一生を遂げてもおらず、
はたまた、何かの疾患があるか否かでさえ発表されてもいない中、
エビデンス好きな現代人が、
まだ、たった44年、「亡くなっていない」というエビデンスだけで、
こんなにも、多くの人がこの手術に挑んでいて。

こんなにも理不尽ないじめが多発している国で、
「14人に1人」、
クラスに1人か2人いるかいないかの確率での生まれ方を選んで、出産をしている。

治療だって、「つらい」「ツライ」「TSURAI」…

どう、書けば、あの、今まで味わったことのない「辛い」という感情を伝えられるか分からないのだけれど、
人によると思うけれど、「治療、めっちゃ楽しかったー!!」だなんて、口が裂けても言えないような、
とてもとても、楽しいとは程遠い場所にいることを、
しばらくの間、強いられるのである。

こうやって、文字通り、お金も時間もかかり、
心身ともに痛みも伴う。

それでも、日本で初めての体外受精児が誕生した1983年以降、
この技術で生まれた子どもは計71万931人で、70万人を突破している。

私自身、8年も治療はしていたものの、
「そこまでしてみたい景色なんかない!」と、
思っていたのが本音だけど、

コロナ禍 に巻き込まれて、ただただ時間を消費しているような気持が強くなって。

せめて残された自分の人生の時間は、
消費ではなく、完全燃焼してやりたいと思い立ち、
「これが最後!」と決めて、転院をして、
新しい治療を進めていく中で、
時期がちょうど、
コロナ真っただ中だったこともあり、
基本的に夫がリモートで家にいて、
私のホルモン投与の注射をする光景を、
何度も目の当たりにし、
その度に、一緒に泣いてくれた。

私の場合は極端に女性ホルモンが少ないパターンで、
ホルモンを増やすために、
テープやシールを体中に貼っていたのだけど、
そのテープまみれで腫れあがった皮膚を見ては、
唯一触ってもいたくない頭をなでながら、
「ありがとう」と言ってくれて、
自分も痛いかのような顔をして、
「痛いね、痛いね」と、言ってくれた。

もう、10年近く2人で暮らしていたけれど、あの治療期間ほど、
あんなにも、感謝されることも、理解されることも、なかったように感じたし、
これが「結婚」とか「家族」という類のものだったのか、と、
なんとなく分かったような気がした。

捉え方を変えれば、
一緒に何かを乗り越えることでしか、
私と夫は、「家族」とか「親」とかっていう存在になれなかったんだとも、思う。

仕事や趣味で、自分勝手な生活を送っていた私たちにとって、
あの痛みは、親になるために必要な痛みだったんだと、
終わってみた今は、思う。

治療中はキラキラした希望なんてそんなになくて、
ただ、いつもそばにいてくれた絶望が、
その時はなぜか温かくて。

いつだってやめていいよと、
うなづいてくれた絶望の先に、
勝手に未来は明るいほうだと信じて、
進んでみるしかなかった。

結果、着床をし、妊娠をし、出産をして、
少々個性的な女の子が、今、我が家の宝物になった。
(実際に娘は、「おい!宝物!」と、鬼太郎を呼ぶ、目玉おやじの言い方で、私たちから呼ばれている。)

今まで、電車の踏切待ちなんて、
時と場合によっては、殺意だって芽生えかねないものだと思ってすらいたのに、
今では電車好きな娘のために、
わざわざ踏切に引っかかるように、踏切に行き、
「でんしゃー!」と、叫ぶ姿を、
一緒に手を振りながら、
5分…10分と、その姿を私はひたすら眺めている。

電車が好きな娘と

これはさすがに、我が子に出会って、
変わった人格NO1だったな。と、思う。

そう。「そこまでしてみたい景色」は、確かにあった。

疾患?いじめ?

ただ、「親」になっただけなのに、
どんなことがあっても、守り抜ける自信が、
今はなぜか、戦隊物のヒーローレベルで持ち合わせている。

娘が、いつかの私のように「産んでなんて頼んでない!」と、
大声で怒鳴り散らす日が来るかもしれないけど、
その日に私から伝えたいことは、ただ一つ。

「ママたちが、あなたに会いたかったんだもんね。ごめんね。」って、
"そこまでして"、会いたかった君へ、
一言、詫びを入れておこうと思う。

エビデンスなんて関係ない世界は、
まだまだ広がっているんだな。

手術をする前に、
あの数字を知っていたら、
まだ「親」になれていない私は、あの治療に踏み込めただろうか。

今年、44歳になるファーストペンギンさん。
44歳のお誕生日、おめでとうございます。

そして、そのご両親よ、
大きな決断をしてくれて、
本当に感謝しています。

あなたたちの勇気と、愛情が、
遠い国のこんな小さな家族に、
大きな生きがいをくれました。

夫と木登りをする娘

痛くないことにした傷を見失わないように、
これからも続く昨日と明日を、
目の前にいてくれる宝物たちと、
ずっと、そっと、大切にしていきたい。

ページの上部に戻る