MATO PARENTS JOURNAL
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WHITE
44歳。14人に1人。体外受精で生まれること
kubotakazuko
2023年の3月。
やっと、海外に行けた人。
やっと、友の笑顔を見れた人。
やっと、推しのライブで叫べた人。
卒園した人、転職した人、転勤した人、
はじめて花粉症になった人…
ここ数年の3月では味わうことのできなかった、
「やっと」や「いよいよ」という気持ちを抱いた人も、
多かったのではないだろうか。
娘の通う園では、卒園式が開催された。
こだわって、
完全異年齢教育をしている園に通わせた親の気持ちを知るかのように、
娘は、お兄さんお姉さんの行動すべてで成長してきた1年だった。
中でも、朝起きた瞬間から、「○○ちゃん!!」「○○ちゃん!!」と、
その子の名前を呼び続けるほど、娘が大好きな年長さんのお兄さんがいた。
私たち夫婦も、彼の親御さんの、彼を育て導いていく姿に、
たくさんの刺激をもらってきた1年だった。
卒園祝いのプレゼントを作り終わり、
数えきれない思い出を作ってくれた彼へ、
手紙の内容を考える。
リーダーシップという言葉が代名詞のような彼なだけに、
少々、大人な言葉を送りたかった。
私が選んだ言葉は「恐れられる人となれ」だった。
この言葉は、最後の転勤先で、
夫が、ビジネスマンとして掲げている自分像を話してくれたときの言葉だ。
「ビジネスマンには何段階かのフェーズがあると思ってて、
信用、信頼…そして幾つかあって、最後は多分、
恐怖に似た感情を与えられるような存在。
君がいなくては困る。君がいなくなると恐い。、
と言われるのが、最後のフェーズだと思ってて、
その関係性は、強そうだけど大切にしていないと一瞬で崩れてしまう。
俺は、恐れられる人でありたい。」
私はこの時の夫の話しで、
「恐れられる」という言葉が持つ、
第一印象の意味と、夫が解釈した意味とのギャップに惹かれ、
夫の、人生を突き詰める意味を、深く理解したのを覚えている。
奇しくも、いくら、しっかりしているとはいえ、
たった5歳の、夢だらけの少年に送る言葉として選んだ「恐れられる人になれ」
…
『小学校に行っても、中学校に行っても、高校、大学、社会人、
そして、社会に出たり、家庭を持ったりしても、、
どこに行っても、どんな環境になっても、
「君がいないと困る」「君がいないと恐いんだ」と、
「恐れられる人」であってくれたら、うれしいです。』
…
こんな手紙を書き終わって。夫に読んでもらって。
「なるほどねぇ。」と、なんとなく、その話は終わって。
私は手紙とプレゼントを梱包して、卒園式を待つばかりだった。
夫があの手紙を読んで4、5日たったある日、
私がたまたま、夫のオフィスの近くに寄っていた日に、
「大事な話があるから、オフィス来れる?」と言われ、
いろんな不安な状況を思い描きながら、
「海外逃亡するならギリシャかな…」と、
最悪の事態まで考えながらエレベーターに乗り込んだ。
「どした?」と、全身に平常心を着飾って、
夫の前に登場してやった。
すると、夫は「あの、○○ちゃんに渡す手紙のことなんだけど…」と、
深く腰を掛けて、話し始めた。
私の想像していた、いろんな不安な状況とは、
だいぶ遠い場所にいる気がして、ホッとして。
着飾っていた平常心を、ものすごい勢いで脱ぎ捨てて、
夫の話しを、ゆっくり聴いた。
「なんか、ずっと、モヤモヤしててさ。
5歳の男の子に『恐れられる人になれ』って、
こっちの想いの通りに受け取ってもらえる可能性って、かなり低く感じてて。
子どもにとっての『恐れ』って、
やっぱり、『怖がられる』みたいな意味が強いと思うんだよね。
もし、そっちの意味で目標にされて、
万万万が一、『ジャイアン』みたいになってしまったら大変やん?
いくら○○ちゃんが賢くてしっかりしとっても、
『恐れられる』って言葉を贈るのは、
なんか今のタイミングじゃないと思うんだよね。」と。
期待はときに、盲点を生む。
なんて、未熟者だったんだ。と、痛感したのと、同時に、
私の価値観は、3回目の年女になった今も、
夫に育ててもらっているんだな、と、
指摘してくれた夫へ感謝した。
それからしばらく夫と話し合い、結果、
「○○ちゃんは、私たち家族の『居場所』だった」こと、
「その居場所は温かく、とても刺激的だった」こと、、
そんな内容で、お別れの手紙は書き直すことになった。
「ごめんね、もう、清書してくれたのに…」と言われたけれど、
夫が娘のお友達への手紙のことで、
こんなにも真剣に考えてくれていたことに、
驚きと喜びで、体中が嬉しくなっていて、
書き直すくらい、なんのその!!だった。
言葉と手は似ていることを思い出した。
「時に言葉は凶器にもなるし、誰かの心を救うこともできる」
いつもいつもは難しいかもしれないけれど、
卒園式のようなこんな節目の日には、
思い出したい出来事がまたひとつ、増えた。
誰かの居場所になれるような、
そんな言葉を使い続けていけたらな。
きっと、その人生は素晴らしいものになるんだろうな。
遅くなりましたが、
この度、MATO JOURNALでレギュラーライターとして
寄稿させていただくことになりました、
執筆家の @kubotakazuko と申します。
恐れ多いことではございますが、
私に映った喜怒哀楽な景色たちを、
「言葉の価値観」を大切にされているMATOのブランドを通して、
したためさせて頂ければと思います。