MATO PARENTS JOURNAL
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PINK
超低出生体重児の外来通院のはなし:眼科編
街角レモン
昨年5月、子どもがうまれた。
出生体重554g。
小さな小さな女の子の母になった。
今でこそ夫とともに育児をし、実家のサポートを気軽に受けられる環境にあるが、子どもが退院してからの約1ヶ月間、自分と娘、二人だけの生活を送っていた。
というのも、当時は実家も義実家も離れており、夫もタイミング悪く短期間の単身赴任状態。はじめての育児・基礎疾患のある娘の将来への不安・出産のトラウマ・・・
すべてがぐちゃぐちゃだった。
極限状態が2週間ほど続くと、生きることに絶望してくる。
娘の果てしない生命力に、なんども励まされたというのに。
「ああ、もう本当にダメだ。」となったとき、一度だけ会ったことのある地域の保健師さんの顔がふと浮かんできた。
子どもに対する温度感が異なる夫、ただひたすら前向きな言葉をかけ続ける母親、健康な子どもを出産した友人たち。
身近な人には決して話すことができなかった感情を、第三者という関係性もあってか保健師さんにはすべて吐露することができた。
まず、丁寧に話を聞き、寄り添ってくれたことがなによりも嬉しかった。気持ちがストンと軽くなり、「1人ではない」感がすごかった。
そしてすぐに、育児的負担を解消する具体的な方法も考えてくれた。
どうやら地域のサービスで、補助金を使って助産師さんのいる施設に子どもと一緒に宿泊できる事業があるらしい。自宅から近い施設を調べ、助産師さんと繋げてくれた。(その後、わたしは5日間ほど施設に滞在し、助産師さんの手を借りながら、子育てをすることになる。)
最後に、「またいつでも電話してくださいね。話を聞くことであればいくらでもできますから。」と声をかけてくれた。
この保健師さんの対応に、わたしは大きく救われることになる。
他人であっても、自分と子どものために、ここまで寄り添い動いてくれる人がいるという事実が、大きな大きなパワーになった。
娘と2人きりの生活も残り1週間ほど。
娘を抱っこしながら近所を散歩をしていていると、隣の家に住むおばあさんと久しぶりに会った。これまでの出産の話や、今1人で育児をしていること、気づいたらすべてを話していた。
「よお頑張ったな〜。わたしも2人子ども育ててきたからね、ちょっと買い物行くときくらいやったら赤ちゃんみとけるから、いつでも声かけてや。」
その日以来、晩御飯のおかずを一品持ってきてくれたり、野菜をおすわけしてもらったり。「昨日は元気な泣き声聞こえてきて安心したわ〜!」などと声をかけてもらったり。
絵に描いたようなご近所付き合い。
社交的ではないわたしだが、その優しさが本当にうれしかった。
引っ越しの日。お見送りに来てくれた隣の家のおばあさん。
この日々を今でもときどき思い出す。
もしかすると、より身近な人に相談した方が良かったのかもしれないが、物理的にも心理的にも、それができないことだってある。
そんなときは、地域の人でもいい、深夜の無料相談窓口に電話したっていい、SNSで同じ境遇の人と気持ちを分かち合うでもいい。
”助けてもらうこと”に躊躇はいらない。
もちろん、声をあげるパワーさえ残っていなかったり、声をあげたとしても自分が求めていたものとは違う対応であったり、そんな場合もあるかもしれない。綺麗ごとばかりは言えないけれど、きっとどこかに自分の声に耳を傾けてくれる人がいるはずと、わたしは信じている。
わたしも夫も両親も仕事の日。88歳の祖母の出番
現在、夫と3人の暮らしに戻り、たくさんの大人の手を借りながら育児をおこなっているが、それでも嘆きたくなることだってもちろんある。
ましてや大切な命を、自分1人で守るなんて、あまりに荷が重すぎる。
生まれてきてくれた命を、守り抜くため、そして育むために、どうか親自身も健康であってほしい。なにを言わずともサポートしてくれる社会が理想的だけれども、そうでもないときは、助けを求めることをしてみてほしい。
わたしを救ってくれた、保健師さん。
気軽に声をかけてくれた、お隣の家のおばあさん。
そして今の生活を支えてくれている、家族たち。
昨日は夜泣きがひどすぎて、今すぐベッドにダイブしたいけれども、
いまだに出産を思い出して、涙を流す時もあるけれども、
それでも、皆のおかげで今日も健やかに母親業ができている。