MATO PARENTS JOURNAL
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PINK
トロル役をがんばる娘から「可能性は無限大」を思い出す
Satomi Nakazawa
半年前、5月のある日のわたしの日記に、
「わたしもくばれるように幸せになろうと思った」と走り書きしてある。
ようやく北海道中が青々と若葉におおわれた頃のことで、
我が家も今季初めて、
牧草が生え揃った放牧地へのゲートを開放し、
牛たちが大喜びでそこへと向かう様子を娘と
少し久しぶりに会う夫と3人で眺め、
そしてその日、わたしたちは離婚届を提出した。
大変お久しぶりのジャーナルとなってしまいました。
あっという間に今年も締めくくりが近いですね!
クリスマスや年越し、冬籠りの準備が楽しい時期に。
わたしの2024年も大きな変化がありました。
別居、離婚、と今年の年明けには想像をしていなかった道のりを歩きました。
別居、離婚のあとには、
新天地へ引っ越し、娘と二人暮らし、慣らし保育、
わたしが大学の通信教育部へ秋入学、と続き今に至ります。
冒頭の日記は、
よくお話を聞いてくれていたお世話になった方がいて、
結婚してから同居していたばあちゃんのお友達の、80代の方。
その方へ、離婚届を提出したことを報告へ行ったときの会話を
「この先わたしは心に置いておきたい」と思い綴った言葉でした。
その方も一度離婚を経験された方で、
ふとしたタイミングで娘が大好きなイチゴを買って来てくれたり、
お小遣いをくれたり、桃の節句や誕生日、
クリスマスなど季節の行事ごとにも果物やおやつをプレゼントしてくれ
娘を気にかけてくださっていた。
離婚届を提出したことを伝えたとき、
「苦労した分幸せになれるから!
幸せだなって思えるから、こうして小さい子にも優しさを配れる」
そう、元気におっしゃった。
その時、“夫婦のわたし”から
一人の人になったわたしの心に、
「わたしも配れるように幸せになろう」
ということが、セットされたようだった。
人生、なにがあるかわからないですよね!
まさか今、わたしは大学生をしているとは、
娘とふたり暮らしをして、明るいうちに帰ってくる娘と
おやつを食べたり(そしておやつのことで喧嘩をしたり)、
毎日のように一緒に公園で鬼ごっこやボール遊びをする日々を送るなんて。
元夫との関係は、いわゆる円満と言えると思う。
家業が農業なので時期ごとの野菜果物をたくさんわけてくれ、
スイカにメロン、とうもろこしに南瓜にだるまいも、ブロッコリーじゃがいもキャベツ白菜…
中玉トマトは箱でもらったため今も冷凍庫にいくつものトマトソースのストックがある。
娘のお泊まりのときには温泉で待ち合わせして
(北海道はあちこちに温泉施設があります)夕飯も一緒に食べたり、
離婚してからもわたしの実家で焼肉を食べたこともあるし、
このジャーナルを書いている今も
娘が夫のところへお泊まりに行っており
もう少ししたらそのお迎えの待ち合わせ時間。
結婚ってなんだろう、離婚ってなんだろう、
家族ってなんだろう。
娘から考えれば、
パパも家族で、ママのわたしも家族。
それは揺るげられない。
だからわたしは婚姻時の姓のままにすることを選んだ。
これは「わたしの場合」で、「わたしたち家族の場合」こうだったということで。
結婚、離婚、人、それらの数だけ家族の在り方が生まれるものだと身をもって知った。
そうしてひとつひとつ、自分で精一杯選択をして
いま、今年の年明けには想像していなかった土地の、家の、一室で、
ちらつく雪を眺めている。
ひと段落した今、また少しずつジャーナルを書いていけたらと思いますので
改めてよろしくお願いいたします。
ママの冒険にいつでもどこでも楽しさを見つけて付き合ってくれる娘へ、ありがとう。
Satomi Nakazawa
Satomi Nakazawa
Satomi Nakazawa
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