MATO PARENTS JOURNAL
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BLUE
息子の「どっちでもいい」の真意とは
柿沼 絢乃
あっという間に新生活スタートから1ヶ月経ちましたね。みなさま元気にお過ごしでしょうか?
我が家の息子たちはこの春で小学2年生と、保育園の4歳児クラスにそれぞれ進級しました。
2人ともクラス替えがなく、次男に関しては担任の先生も前年からの持ち上がりでしたので、落ち着いた春を迎えています。
対して、私自身は春から新しい環境で働き始めたので、てんやわんやという感じでした。
そんなてんやわんやの母を知ってか知らずか、体調も崩さず元気に過ごしてくれた息子たちに感謝です。
カレンダーをめくって「もう5月か!」と驚きました・・・
というジャーナルで「自分は常にフラットな母でいたい」と書いたことがありました。
これはそれ以前にも繰り返し書いているテーマのひとつ。
自分の機嫌のアップダウンを誰かにぶつけないというのは常々心がけており、
息子が生まれてからは子どもたちに対しても同じく思っていました。
「フラットな人で、フラットな母でいたい」この根本は今も変わらないのですが、最近少しだけその考え方に変化が出てきました。
息子たちが小さかった頃は単純に「私が怒る姿を見せたくない」と思っていたのですが
子育て、そうもいかないシーンが多々あります。
親の私にも感情があるし、気持ちの波もあるし、常にニコニコしていられないことだってあります。
いや、正直に書けば怒ってばかりな気もします・・・苦笑
でも、別に私は自分の感情をぶつけたくて怒っている訳ではないし、本来はそういう姿を見せたくないとすら思っている。このジレンマはなんだ。
と、ずっとモヤモヤを抱えていました。
そんな時、目にしたのが「怒る」と「叱る」の違いが書かれた記事。
「怒る」は感情に任せて怒りを相手にぶつけることで、
「叱る」は理性的に『相手のためをおもって』『相手の視点に立って』導くこと
といったようなことが書かれていました。
そうかなるほど。私は怒っているんじゃなくて、叱っているのかと、ストンと腹落ちし、
ずっと抱いていた「怒ることへの後ろめたさ」のようなものを、少し手放せた気がしました。
理性を持って相手の立場を想って導くことは、怒ることとは違うんだなと理解したのです。
(もちろん「叱っている」という前提があれば、なんでもしていいという訳ではありませんが。)
私は怒っているのではなく「あなたを想って叱っているのだ」ということを、息子たちはいつか理解してくれるはずだと信じています。
そして願わくば、そういったやり取りの中から
「誰かに対して感情的になるべきではない」「人への思いやりをもって行動を起こすべき」ということを伝えていきたい。
これは親のエゴかもしれないけれど、
私はあなたたちのことを想ったから、叱るという行動を取ったのだ。とわかってほしい。
今はまだ、叱った返答で「ママいじわる!!!」などと叫ばれることがよくあるのですが
いつか、あなたたちのことが大好きだから、母は叱っていたのだと知ってくれる日が来ることを期待して。
息子たちとの関係性は歳を重ねるごとに変化していきますが
特に2年生になった長男は、いよいよ「お世話する相手」ではなく「人生を並走する相手」と感じることも増えてきました。
とにかく何があっても動じずフラットで、全てを受け入れ支えてあげたいという時期を越えて
自立した人間どうしの関係の中から、親として大切なことを伝えてあげたいと思う時期がやってきました。
長男が生まれて7年。
何もかもお世話をしないと生きていけなかった、弱々しくまるで未知の生物だった赤ちゃんが
肩を並べて尊重すべき相手と思えるようになるなんて。
「子どもの成長ってあっという間」なんて月並みな表現になってしまいますが、本当に心からそう思う今日この頃。
私も彼らの成長に取り残されないように、親として必死に成長したいと願う日々です。
柿沼 絢乃
柿沼 絢乃
柿沼 絢乃
柿沼 絢乃