MATO PARENTS JOURNAL
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RAINBOW
2025年。子どもに囲まれる仕事に転職して、思うこと
柿沼 絢乃
先日、唐突に過去の自分に出会うことがありました。
今日はそのときのエピソードを書きたいと思います。
長男は今小学2年生なのですが、冬休みに「じぶん研究」という宿題がありました。
何をするかというと、自分の名前の由来、産まれた頃のこと、乳児期のこと、幼児期のこと……、と過去の自分のエピソードを周りの大人にインタビューしてまとめるという内容です。
「産まれた頃どうだったか教えて」と早速エピソードを求められたのですが、これがもう全然思い出せない(笑)。
私は地元・新潟で里帰り出産をしているのですが、
「陣痛がきた出産前日の夜はものすごい吹雪で、暴風のなか産院に向かったなあ」
「一晩中陣痛で苦しんだけれど、朝産まれたときは前日の吹雪が嘘のような晴天で、病室に燦々と差し込む陽の光が印象的だったよ」
「新潟の冬には珍しい天気で、おひさまが祝福してくれている、って思ったんだった」
などと、2年生には少々抽象的すぎるエピソードしか思い出せず……、そんな内容を伝えました。
いろんなことがあったはずなのに。
思い出そうとしても脳裏に浮かぶのは、長男が産まれた朝の、病室に注ぐ日差しの画ばかり。
ああ、なんだかどんどん忘れてしまうものなんだな、と思いながらその日を終えました。
数日後、長男の連絡袋の中に再び「じぶん研究」の宿題プリントが。
「あれ?これもう持ち帰ったの?」と聞くと、
「産まれた頃のエピソードが足りないからもっと教えて」と再提出のための持ち帰りでした(笑)。
そこでふと思い出したのが、育児記録をつけていたノートの存在。
授乳のタイミングや離乳食の内容などを記録していたものなのですが、あそこに何かエピソードが残っているはずだ、と思い出したのです。
最近だとそういった記録をアプリなどで管理している人も多いと思うのですが、いかんせんアナログ派なものでノートに手書きで書いていました。
久々に手に取ったノートをペラペラっと開いた瞬間、ものすごい細かさと熱量に自分でも驚いてしまいました。
そうだ、あの頃はここに記録をすることで自分を支えていたんだ、ということも思い出したのです。
毎日新しいことだらけの赤ちゃんとの日々。それは常に新しい物事をインプットし続けるような感覚がありました。
その中で「今日はこんなことがあった」「こんな表情を見せた」「こんなことができるようになった」と書き出す時間は、自分にとって唯一のアウトプットだったように思います。
慣れない赤ちゃんとの日々に潰れそうな自分をどうにか支えていたのが、この小さなアウトプットでした。
私がノートを見る横で、長男が「わーこんなのあるんだ」と覗き込みます。
「そういえば、最初の検診で体重増加が足りてなくて再診になったんだ」とか、
「よく眠っている時はバンザイして眠ってたよ、可愛かった」とか、
色々な忘れていたエピソードを伝えることができました。
ひと通り長男に伝え、最後のページをめくります。
1年記録の育児日記だったので、最後のページは1歳の誕生日に書かれていました。
そこにはこんなメッセージが。
「パパとママのところに生まれてきてくれて本当にありがとう。
1年間ずっと書いてきたこのノートもおしまいです。いつか本人に見せてあげよう」
これは息子に宛てたメッセージであるけれど、
それと同時に、8年前の私から「いつか」の私に向けたメッセージだ。と思いました。
ノート越しに、初めての赤ちゃんと必死に対峙し、このメッセージを残した過去の私の姿が見えました。
「よく頑張ったね、あのときの赤ちゃんはしっかりお兄さんになったよ。
『いつか』は8年後。ノートを見せてあげられたよ」
心の中で「いつか」の私から、8年前の私に声を掛けてあげました。
エピソードを追記し、長男の「じぶん研究」提出分はなんとか完成したようです。
彼が過去の「じぶん」を知ると同時に、図らずとも私も過去の「じぶん」に出会うことができました。
あの時は必死で、無我夢中で、何ならもう記憶もないくらい。
でも、こうやって記録のノートを通して、私はその時の「じぶん」に再会したのでした。
すっかり開くことがなかった育児記録のノート。
またいつか、たまには開いて眺めてみたいと思います。
きっと、かつての「じぶん」がノートの中で待っているでしょう。
その都度私は、必死だった頃の自分に「頑張ったね」と心の中で労いの言葉を届けてあげるのです。
柿沼 絢乃
柿沼 絢乃
柿沼 絢乃
柿沼 絢乃