MATO PARENTS JOURNAL
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PINK
トロル役をがんばる娘から「可能性は無限大」を思い出す
Satomi Nakazawa
「さとみも、夫くんのお母さんを頼りにしたりしたらいいと思う」
と、実家の母から言われたことがあった。
「頼る」ということをどこか苦手のように思っていて、「仕事」であれば頼ることも頼るための言葉も出せるけれど、仕事という名分のないときの素のわたしにはまだうまくできないことのようで。
子どもの頃から書きたいときにぽちぽちと書いてきた日記にも、30代になり独立を決めることになるその少し前からこの
「頼る」
ということにぶつかることが多かったらしくよく書かれていて、なんども「信じ、頼ること。」というフレーズが出ている。
信じ、頼ること。
先日、MATOの担当者さんとメールでやりとりしていたときに
「三世代で同居されている中澤さんのご家族なら、どんな使い方をするのかな?と教えていただきたい気持ち」
とおっしゃっていただいたアイテムがある。
PELICAN BACK PACK AIRというリュックで、子どものお着替えなどはもちろん、ノートPCも入れられる仕様になっているため、担当者さんがそうおっしゃってくださらなければ、きっとわたしと夫が当たり前に背負っていたと思う。
そこへ、ぽんと、やさしい言葉を投げかけていただいた。
たしかに、お母さんはどんな風に使うだろう。
特に子育てという場面でリュックを共有するということは、なにか変化をもたらしてくれそうな。…
頭のなかでいろいろ想像した。
これまで同居をしていても、特に身に着けるものに関してはなにかを共有することはあまりなくて、所有者が使用する。
それだけでしかなかった。
3日間、「リュック、一緒に使いましょう」と言えなくて笑、
自分の頭のなかだけで「どんな場面で使うか」を考えて、自分のなかでのシチュエーションづくりは限界で、お母さんに聞いてみた。
「孫を抱っこするときに使いたい」「雪道では両手が空いていて欲しいからリュックはちょうどいい」「PCを入れて歩くリュックが欲しいと思っていた」「仕事で使うフェイスガードも入れられそうだから仕事にも」「友達との小さなお茶会のときに持ち寄り食材を入れて」…
そうか、答えはそのひとのなかにあるんだよね。
60代、70代は、わたしが子どもの頃に想像していたよりもずっとアクティブで、そしてそのことに救われる。
30代のじぶんも、まだまだアクティブでいられる。
さっそく、仕事と、仕事後に蕎麦打ちの集まりがある日、お母さんはPELICAN BACK PACKに仕事道具と着替えを詰め込んで出掛けていった。
出勤前、出かけるばばにくっついていって家のまわりを少しだけ散歩してもらった娘。
途中で「ばば!」と、抱っこをねだった娘の抱っこも、両手が空いているから軽々としっかり。
「こんどはこのリュックを背負ってお散歩しようね」と楽しい約束もして^^
ひとつ、家の共有スペースに誰がつかってもいいリュックがあれば、家族の誰かの日常を軽やかにしてくれるかもしれない。
そして先週は、夫が。
今週はわたしが。
農家な夫は仕事の合間に、一時保育が久しぶりだった娘のお迎えに一緒に行ってくれたのでした^^
きっと泣いている娘をわたしが抱っこすることになると思ってリュックを夫が背負ってくれたのに、娘はなかなかけろりとしていて、結果夫がリュックも娘も。
今朝は、あたちも。
PELICAN BACK PACKの横にカラビナでくっつけている巾着もとても便利で、一時保育を利用している娘は上靴が持参なのですが、上靴をここに入れておくとリュックをおろすことなく上靴が出せる!
製作の過程で深く深く使い手のことを思い遣ってくれているモノは使っていてもそれを感じられる。
だれかを「頼る」をうまくできないと感じているときは、「モノ」を頼りにして、壁を取り払ってもらうのはやさしい解決策だなと知る。
明日は、わたしにとってはじめて、お母さんにとっても昨年12月に亡くなったばあちゃんのいないはじめての「仏具のお磨き」をしようと約束しています。
仏壇を前にどんな時間になるでしょう。
Satomi Nakazawa
Satomi Nakazawa
Satomi Nakazawa
Satomi Nakazawa