PARENTS JOURNAL

ほかでもないわたしを励ます。

「もし自分に一つ才能があるとしたらなに?」

 

と、友人夫婦の旦那さんから質問をされたことがある。

今年の春、ヨモギの旬の頃だった。

 

そのときのわたしは、けっこう迷わずに、「感受性」だと答えた。

 

感受性でここまで生きてきたな、とずっと思っていて、

感受性は言い換えると、信じる力、だとも思っている。

さて、今回のJOURNALは、8月のうちにMATO編集部さんからお題を頂いていて、

「子育てしながらも、自分らしさを大切にするヒント」について、書こうと思う。

 

本当は8月のうちに書き出していて、どんな風に結びに向かおうかなぁと温めているうちに、娘の通うこども園のクラスがコロナで休園になり、そしてその翌日私は39℃の発熱、新型コロナに罹患した。

 

10日間の療養期間をフルに「療養」のために使い休み休み暮らしながら、高熱が続いたことも影響したのかなんなのか、
ようやくJOURNALを書こうとPC、そしてペンを持って手帳に向き合ってみたら、びっくりするくらい文章が書けなかった!笑

 

文章を書くことから10日間離れて、書きたい言葉がすんなり出てこなくなってしまった?

JOURNALを書こうと思って1日目、2日目と、書きたい言葉のメモが途切れ途切れにしか続かない。

 

でもようやく2日目の夕方、思った。

もしかしたら、言葉が出ないのは、「子育てしながらも、自分らしさを大切にするヒント」について、わたしがいま迷っているからでもあるんじゃないかと。

 

自分らしさって、なんだろう。

特に、今の、自分らしさ。

 

2歳の娘の子育てをしていて、家業の農業のフロントオフィス的な仕事をしてお客様とやりとりをし、フリーランス時代から続いている仕事もしていて現場にもよく出た夏だった。撮影に、ウェディングに、展示会。

ある撮影前夜、寝る前に窓から見えた星が月が、綺麗だった。

 

「自分らしさ」のなかで、めいっぱい暮らしているようなのに。

 

言葉が続かないのはたぶん、わたしが飲み込んでいる言葉があるからなんだなと、だんだんわかった。

 

飲み込んでいる言葉があるとき、言葉は出ない。言葉は正直だ。

熱が出て、社会から一度お休みモードになった私は、特に正直だった。

 

 

コロナになる前、 JOURNALを書き始めていた頃に書いた日記があって、題名は「励ます日記」。

 

...『わたしが帰る場所、というものがいくつかあって、

 

現在住んでいる自宅、実家の両親が暮らしている家、

そしてもう一つが、8歳くらいから時々書いている日記、というもの。

 

2022年8月22日、

この夏、毎週のように続いた「現場」のお仕事がすべて終わった日の翌朝、

蝉の鳴き声が聞こえる日陰の部屋で、

 

日記を開きたい、と思った。』

 

その日記を書いた日のおやつ、フルーツほおずき。

 

...『未来のわたしや誰かが、心強くなれるよう、わたしは日記という記録を書いてきた。

 

いま、なにか文章を書きたいと思う時は、

 

「そのとき浮かんだ思いを忘れたくない」、

また、「その思いが、”だれか”であったり、”未来のわたし”であったりを励ますような、

読んだだれかが心強くなれたらいいな」と思って、文章を書いている。

 

そして今日のこの日記は、ほかでもないわたしを励ますための日記だろう。

 

この夏、お疲れ様。素敵な光景をたくさん見たね。

 

これから、未来の家族を迎えに行こうね。

だからちょっとがんばろうね。』

 

と書いている。

 

わたしはいわゆる二人目不妊に直面しているということを飲み込み、

本当は夫(と娘)以外会える気持ちじゃない日もある、ということを飲み込んでいた。

 

そうして、今回お題を頂き、自分らしさを大切にするヒントに向き合ったとき、言葉にできなくて気がついた。

自分の本当のところを飲み込んだうえでは、自分らしさは語れない。

 

「子育てしながらも、自分らしさを大切にするヒント」を今のわたしが言葉にするならば、

「自分の第一希望や、自分の感じる心を無視しないこと」だ。

 

わたしであれば、すでに第一子がいてくれるから、とか、一緒に子育てしてくれる家族がいることに感謝をしている、というのは本心でもあるし、変化をしようとしている自分の心に蓋をしていることでもある。

 

自分が何を感じているのか、そのことに目を凝らすこと。

 

いま2歳の娘が毎日なにかを感じ得ている。

それと同時に、ママになった自分だって毎日なにかを感じ得ている。37年目の感受性。

そんな自分の感受性に正直でいることが、子育てと自分らしさのフェーズフリーに繋がるはずだ。


昨年実家のジジババが種を採ってわけてくれたツル性のお花、今年娘と一緒に種を蒔いて庭の片隅にアーチをつくった。お気に入り。

 

大人の自分の変化も、娘のそれと同様に無視せず目と耳を凝らしてあげること、

そして「もし自分に一つ才能があるとしたらなに?」なんて、真面目な質問をしてくれるような友人や知人との関係を大事にすること。

 

そうして自分に問うことを、後回しにはしてもおざなりにせず、自分の第一希望にも興味をもって暮らしたいなと思う療養明けだった。

季節は秋にバトンタッチですね。

 

庭の木も少しずつ黄色く。

昨冬亡くなったばあちゃんが育てていたブドウの木もたわわ。自分で自分のおやつを収穫しにいく娘^^

ページの上部に戻る