PARENTS JOURNAL

20歳で入院した話と、正常性バイアスというめがね

夏のまんなか、毎日暑いですね!

河原の写真

休日、家の横を流れる沢にて水遊び

思わず、あついー!と言ってしまうこちら北海道、わたしの住む町は本日31℃。
とはいえ先日、関東圏在住の方と北海道でお会いする機会があったときに、
「わたしたちはこれは暑いとは言いません」とおっしゃられて、笑いました。笑
夜になれば20℃前半に落ち着く北海道は、やはり過ごしやすいですよね!

花の写真

さて、知人や親戚から、体調不良が続いていて、という話を聞く機会が続きました。
子ども連れで病院に行きかねる、という話も。

こういった「体調」の話のときに頭に浮かぶのはわたしが20歳のときの冬の終わりの景色で、
その冬の終わり、わたしは病気を患い、3ヶ月ほど入院をした。
入院が決まったとき、まぁまぁの重症さだった。
親元から離れ、姉とふたりで暮らしているときのことだった。

だれかの体調の話や、いつもと違うちょっとした症状が気になっているという話を聞くと、
その当時のことをとても思い出し、前のめりで話を聞いてしまう。

わたしが思わず前のめりで聞きたくなる理由はなんだろうと考えてみると、
「症状の原因はなんだろう?」
「その人が自分で改善できるものなのか、それともお医者さんに診てもらった方がいいのか?」
「不調があることの不安や不快な気持ちがよくわかる。とても大事。」
そして「少しでも軽く済むうちに」というような思いだと思う。

畑の写真

先日、同期ライターの柿沼さんが お子さんの熱性けいれんのお話 を書かれたときに
「このことはいつかこのMATO JOURNALの場をお借りして、紹介したいと思っていたことのひとつ」と書かれていて、
わたしもこの、大人の体調のこと、大人自身の「自分」の体調のことについて、
いつかMATO JOURNALの場で書きたいなと思っていました。
今日は20歳のときのことも振り返りながら書いてみます。

20歳で病気になり入院したという話は
あまり多くの人には話さないでここまできたことで、
20代の頃は「隠している」とも思えて葛藤したこともあったし
「公開しないという選択をしている」という言葉を聞いて「なるほど」と気持ちが軽くもなったりした。

日記の写真

20歳の頃の日記

わたしは20歳で病気になるまで、大きな怪我や病気をせずに暮らしてきた方だと思う。
だから病院は、そこまで近い存在ではなかった。

不調を感じるようになってから入院をするまでに7ヶ月くらい、
それでもその間病院に行っていなかったわけではなくて、3度、科を変えて受診をしている。

はじめは、内科。
次に、耳鼻咽喉科。
いよいよ症状が強まり不安のなかガラケーの小さな画面で検索して
見つけて行ったのが、3番目となる呼吸器科だった。

そしてこの呼吸器科が「すぐに行って」を紹介状を持たせてくれて
次に受診した病院で、「即入院」という診断となった。

3番目にかかった呼吸器科のおじいちゃん先生とおばあちゃん看護師さんが
「若いのに…」と、かわいそうに思っていることが伝わる言葉をかけてくれながら、
病名はその場で明言できずとも正しい診断をしてくれたことにとても感謝していて、

その前にかかった1番目と2番目の病院はわたしの伝えた症状を聞いて、特に2番目の病院の方で
「そんなわけない」と鼻で笑われたことが当時ショックだったし、
「素人が言うことだとしても、わたしが実感している症状に耳を傾けて欲しかった」
「そして伝えた症状は正しかった」という思い出が残った。
(とは言え、原因がわからないということで行なった検査のひとつがアレルギー検査でそこで「ビール酵母」のアレルギーであることがわかったりと生活のうえでとても参考になった)

この病気を患った経験から得た実感は、
「何科にかかるかという選択は重要」ということと
「病気が発症するまでに原因も症状も繋がっている」
ということだった。

入院が決まった翌日の日記に「私、いつからか寝汗かくようになってて、
それも症状の1つだったんだなぁ。つながってるんだなぁ」と書いていて、
さらに言えば子どもの頃から鼻が詰まりやすく口呼吸しがちだったことを自分でもわかっていて、
その頃に本で「口呼吸は病気になりやすい」みたいな文章を読み、
子どもながらに「いつか病気になるかも」と漠然と思ってもいた。

「もしかしたら子ども時代の呼吸から繋がっていたのかもしれない」と
20歳で入院が決まったときに思っていた。(正しい事実はわからないけれど)

軽微でも、自分にとって健康的ではない症状が出ていることを無視してはいけないのだと知った。

そんな入院経験を経て、だれかの体調のお話に前のめりなわたしですが、

こちらの記事にも書いた夫の祖母 とのこともとても心に残っている。

それは、「やはり体調の話にはよく耳を傾けよう」ということと、
「もっと出来ることがあったかもしれない、
いやでもあの時のわたしにはあれが最大限だったかもしれない」
という小さな葛藤みたいな気持ち。

「同居をする」ということは、MATO JOURNALを読まれている方にとっては
「上の世代と住む」ことと同義になる方が多いかと思います。
わたしの同居もやはりそうで、夫の両親と、同居3年目までは祖母も、と、
娘から見たら「じじばば」と「ひいばあちゃん」までが一緒に暮らす生活でした。
子どもの体調、夫婦の体調だけでなく、
同居というスタイルは上の世代の体調のことも日常にある暮らしと言える。

4年前の夏の夜、「右足に力が入らない気がする」「頬もなんとなく引きつる」
ということを、祖母がぽつりぽつりと言った。
娘が生まれる前のことで、祖母とわたしが二人きりの夜だった。

話を聞きながら検索してヒントを探すと、いろんな原因はありえるなか、
これが原因じゃないかとわたしが思ったものを伝えた。
ただ祖母はその部分に持病はもっていなかった。
でももしそうだったら重大で、どうしたらよいのか、
何か起きてしまうのかと不安になった。

家族たちが帰ってきて、祖母と体のことを伝えた時、
とても健康な家族たちらしく「ばあちゃん気のせいだって!」と言った。

しかし翌日、祖母は入院した。
翌朝も症状が消えなかったことで朝一番で家族が付き添い、
祖母は自身の足で病院を受診しての入院だった。

病室の写真

病室から祖母と夫と3人で花火大会を眺めた。そして長引かずに退院してその月の終わりに予定していたわたしたちの結婚式にも参列できるほど回復したのでした。

この思い出を先日、医療関係に勤める身内と話したときに言っていたのが
「ひとには正常性バイアスがかかるから」という話だった。

「正常性バイアスがかかるから、
気のせいだと言いたくなってしまうのはしょうがない」、と。

『異常を正常の範囲内のことと捉えてしまう錯誤、心の安定を保つメカニズム』、
『人間の心は、予期せぬ出来事に対して、ある程度「鈍感」にできていて
日々の生活の中で生じる予期せぬ変化や新しい事象に、
心が過剰に反応して疲弊ないために必要なはたらき』(Wikipediaより) とのこと。

正常性バイアスは、近年災害を振り返るときに耳にすることもある言葉ですね。
「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」…

わたしもおおよそのことに、大丈夫だしなるようになる、と思うけれど、
体調に関して、相手そして自分の体に、小さくてもなにかの症状があって、
それが目に見えたり、言葉で伝えてくるほどの場合、
「大丈夫」「でも」「大事なことだからもう少し聞かせて」と、寄り添いたいし、

もう一歩、「受診しよう」なのか「ちゃんと様子みよう」なのか、
踏み込む勇気も持ちたいと思っている。

この踏み込む勇気のようなものは、
夫の祖母と暮らした3年間で持ちたいと思うようになったと思う。

亡くなるまでの晩年を家族として一緒に暮らし、
わたしたち一人一人の行動…「した」のか「しなかった」のかによって
もしかしたら相手の命の部分に関わるかもしれないことがあるのだと思った。

トマトを収穫する写真

収穫したミニトマトを「自分が食べたい分よけておいて」と伝えたら山盛りよけている娘^^

いま娘の命や健康に対して当たり前に守りたいと思うのと同じくらい、
自分が関われた同世代、上の世代の「その時」にももう一歩、
自分なりの積極性を持ちたい。

これがお節介というものか!とも思ったけれど、
3ヶ月入院をしていきなり全生活がストップした経験がわたしにはあるのだからしょうがないのだ。

いきなり重症ということはたぶんきっとあまりないのでは思っていて、
こつこつと身体はちゃんとヒントを出し続けてくれているのだと思う。
ちょっと不調だ、ちょっと不調だ、という積み重ねの先。

まずは正常性バイアスというメガネがかかってしまっていないか日々日々点検するところから!

猫と歩く写真

この記事をアップしようと思っていた今日、
PCや仕事の資料を入れていた CONTAINER TOTE BAG を土の上で少し引きずってしまい…!

保護猫ちゃんと娘ともよく登る坂道を、今日は一人で登っていてよろけてBAGを土に着地させてしまったのでした。

CONTAINER TOTE BAGの写真

一度お手入れしたいと思っていたこともあって
こちらのお手入れ方法のページ を参考にぬるま湯で手洗いして、
控えめな蝉時雨降るなかベランダに陰干中です。^^

( - 追記 / 遅めの午後に洗って屋外で陰干し、夜は部屋のなかで干して翌朝触ってみたら乾いていました!シワも乾いたら落ち着いていましたよ。すっきり!)

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